2017/09/02
先日、検査依頼があり、グランツを東京の動物病院へ連れて行き、その結果が送られてきました。(2週間以上前の話ですけれどね)
そのまえに一言。
この検査は、繁殖にかかわるナーバスな問題にもなってきます。
実際にこの検査をあまり快く思わない人たちがいることも、重々承知です。
検査を受けないなんて、ひどい。
自分のところの繁殖に自信があるならば、検査受けられるハズ! というご意見もごもっともです。
わたしもずっとそう思ってきました。
いまでもその信念に揺らぎはありませんが、検査を受けない側の意見にも一理あり、それはともすれば受け入れにくい部分でもありながら、納得できるのも事実。
皆が皆、金もうけのためだけに繁殖しているわけではありません。
興味本位で繁殖している人ばかりでもありません。
真剣に、その犬種をよくしようと、いいものを残そうと、作り出そうと繁殖している人たちがいることもまた、事実なのです。
そういった方からのご意見も耳にし、話を聞いている身には、検査を受ける、受けないというのは、個の意見、意志であって、それをしないことに対して、もしくはしたことに対して、否定的なことを言ってはいけない、双方に「あなたはあなた、わたしはわたし」と引き下がり、相手の意見も尊重することが求められてくるのだなと感じます。
本来ならばこういったページで、病名を出すことは控えねばなりません。
わたしは獣医師ではありませんので、病名をここに挙げることは控えなければならない立場です。
今回は、わたしの犬を、わたしが個人的に検査を受けたということで、その名前を挙げることをお断りさせていただきます。
わたしが、グランツに受けさせた検査は「DM(変性性脊髄症)」という遺伝疾患の病気を調べるものです。
この検査を受けたのは、ひとえにCareをする立場で、この病気がコーギー、シェパードに好発し、多くの症例を見、多くを見送ってきていることが理由のひとつとして挙げられます。
わたしの知り合いが、この病気で自分の犬を亡くしています。
この病気をゼロにすることを目標にしたいという志を掲げ、その被験体を募っていたので、それならばと参加した次第。
この病気を発症した犬、そしてなによりもそれを支えるオーナーの精神的、肉体的、経済的な苦労も多く見てきていますので、減らせられる可能性があるならば、その方法を見つけ出す一助になるならば、と依頼を受け容れました。

幸い、グランツは「ノーマル」といって、陰性でした。
同じ父犬を持つ、知り合いの犬もノーマルでした。
グランツと同じときに検査したシェパード10頭中2頭がキャリア。
2017/9/1現在の中間報告として検査頭数58頭中、陰性36頭 キャリア14頭 陽性8頭というデータがあがってきているようです。
まったくのアトランダム検査で出たこの中間報告を、多いとみるか、少ないとみるかは人それぞれ、立場それぞれだと思います。
ここで思ったのは、立場の違いということ。
繁殖家の立場。
なにも病気を蔓延させようとしているわけではない。でも病気を隠し持っているかもしれないとわかっていても、その犬種の特質を出すために、あえて交配するということもあるわけです。とても乱暴な言い方をしてしまえば10頭産まれたなか1頭でもいいのがいれば、結果よしとなるわけです。残り9頭は犠牲となったとしても、です。
わたしもそれをよしとしているわけではありません。それを納得して、受け入れているわけではありません。
でもこれが犬を極めて作って行こうとする、繁殖家の一断面であることは確かで、その恩恵(もしくは犠牲)を受けているのは否定できません。
一方。
犬を家族のように迎え、ともに生活を楽しんでいる人からみれば、病気のリスクは絶対的に低いほうが良いわけです。
健康であれば、楽しい時間を多く過ごせる確率が高いのは事実ですから。
ですから、この立場の方からみれば、まず「親犬たちには検査を!」となるのは当然のことです。
わたしも検査している犬か、いない犬かとなれば、している犬の方を、よりクリアな目で見てしまうと思います。
でも。
病気のリスクも知っていて、もしくは発症していたとしても、かまわないという人もいます。
保護活動をされ、保護犬、保護猫を迎え入れられた方々です。
その方たちだって、望んでそういったリスクを抱えた仔を迎え入れたわけではなく、すべて受け入れ、覚悟を持って迎え入れられた方々です。
双方が歩み寄れるのが一番いいのでしょうが、なかなか目指す目的地、終着点が違えば、どうしても歩み寄れきれない部分も出てきます。
自分の意見も主張するかわりに、相手の意見も受け入れること。
そして新たに迎え入れる側は、そういったことも含めて、なぜその犬種なのか、どう生活したいのか、求めるものはなんなのかを、きわめて冷静に判断することです。
ともに生活をする上でリスクが少ない方がいいならば、検査を推奨し、その情報もあますことなく公開する繁殖家や信頼できる方から譲り受けること。そういった目的で繁殖された方のところから、迎え入れることです。
一方、自分が目的を持って、求める性能の可能性が高い仔をと望むならば、多少のリスクがあってもそれも織り込み済みで、そういった同じ目的を持って作出する繁殖家から迎えいれればいいのです。
もちろん両方を兼ね備えた繁殖家、犬を迎え入れられれば万々歳ですけれどね。
いい意味で、飼う側の意識、求めるものの明確性が、厳しいまなざしが、こういった遺伝疾患の率を引き下げ、繁殖家を大別させていくのだと思います。
そしてなにをおいても、最終的には、「覚悟」。
望んでいた結果ではなかったとしても、迎え入れた以上、最後まで飼いきる、という覚悟がものをいうのです。
もちろん、そこまで考え、厳選し、勉強し、時間をかけて手に入れた犬が、そういう結果になったとしても、迎え入れるまでの期間にあったことが「あれだけやったにもかかわらず、こうなってしまった。でもこれが生き物なのだ。絶対はないのだ」と納得させてくれることと思います。
その話を交わしていたある繁殖家の方にも言われました。
あなたは優しいから、生き物の命という道徳心からそれ(遺伝疾患)を見る。
自分は作る側にいるので、そうなる。
あなたのそういう優しいところがいいところ。
自分はそれを選別という。
純血とは残酷なものだ。
たとえばグッピーは雑種にしてほっとくと原種に戻る、生き物はみずからの力で欠けた遺伝子をもとに戻すが、純血は人がそれをさせないように繁殖しなければならない。自分たちはその矛盾のなかで仕事をしている。
そう聞いたとき、矛盾を認識しながら、それでもよりよいものを作ろうと努力している人もいると感じました。そういった方から見たら「繁殖に、素人が口さしはさむな。そんなにたやすい問題ではない!」といいたいこともあるのでしょうね。検査に消極的な繁殖家のなかには、こういう方もいるのだということを少し頭の片隅に置いておいてほしいなと思いました。
でも、素人だからこそ、最終的にはそういった犬を引き受ける確率の高い一般の者からみたら「とんでもない! しっかりしろ」となり、つきあげる立場になれるわけです。
しいていえばその立ち位置から、繁殖家を厳しく選別し、優良な繁殖家を育てていける立場でもあると思うのです。どういう意図をもって作出しているのかが明確にわかる繁殖家をふるいの上に残すことができるともいえるのです。
双方に当然な意見です。
どちらにも是非をつけることは、一個人がしてはいけないなと感じます。
いずれにせよ、わたしたちは勉強しなければならない。もっと学ばなければならない。もっと真剣にならなければいけない。
「命」というものに対して。
ナーバスな問題なため、記事として取り上げるのはどうしようか迷いましたが、思い切って挙げてみました。
あの犬舎の仔なら。
あの人が飼っている犬の出身犬舎があそこだから…という安直さで犬を迎え入れるのではなく、きちんと自分の目でみて、感じて、考えて、勉強してほしいのです。
そして、そのうえで、ご自分とその家族にとって最高の犬との出会いにつながることを、心から願ってやみません。

いま手元に居る犬たちを、大事に。
それがいま、この立場にあり、この立ち位置に立つ自分ができること。そう信じます。