2012/05/05

三本足のセターくん。
ボクには、この段差もリハビリなんだよね~、です。
しんどいときは、トイレにたたずんだまま、「助けて~」になるようですが、できるだけ自力でということで、飼主さんもじっと待って、がんばらせています。
待つって、けっこう精神的に大変な作業なのですけれどね。
そうすると、セターくん、1歩ずつ、前にでて、あるとき、よいしょっと。
えらいな~。
がんばっとるな~って、その姿を見るたび、拍手しちゃいます。
そうすると、ほら、この誇らしそうな顔! かわいいなぁ~。
犬は素直で、本当にこういうとき、かわいいなって思いますよね。
かわいそうと思ってしまうのも人情。
手を貸してあげたくなる気持ちをこらえるのも大変。
だけれど、それがこの子のためにならないこともあります。
寝たきりになってしまったらつらいのはこの子。
だからこそ、日々のケアと、少しの頑張りさせることを織り交ぜて、できるだけ自分の力で立ち、排泄し、食事を取り、犬らしく生きることのお手伝いをすることが、時には心を鬼にしてでも必要なこともあるのです。
じゅうぶん頑張っているのに、これ以上頑張れというのは……という気持ちもわかります。
だけれど、その子のプライドもあるでしょう。その子個体としての尊厳を守るという視点にたったとき、なにも「頑張れ」といわなくたっていいのです。
ただ黙って、じっと待っていてやることも、協力であり、背中を押す行為でもあり、人のペースにはめ込まないことでもあると、わたしは思っています。
「待っていると時間かかって大変」、
「抱っこしちゃったほうが早い」、
「さっさとやってくれないと時間がないの」で、手をさっさと貸してしまう方がいます。
トレーニングでも、「さっさと覚えてよね。なんで出来ないわけ!?」とイライラする方もいます。
これって、犬のためじゃなくて、人の都合に犬が振り回されているなぁとわたしは感じてしまうのです。
そういう「人の都合」だけではなく、どうすれば「この子らしく」いさせてやれるだろうか?ということに主眼を置いて考えたら、答えはおのずと導かれるものではないかなと思います。
個体としてみたとき、どうすれば、この子がこの子らしくいられるだろうか?
この子の良さはなんだろうか?
それが、トレーニングなり、ケアなりでかかわる犬たちへの、わたしの目線になります。
もちろん、「もう頑張らなくてもいいよ」というひとことが必要なときもあるのですが、それがいつなのかは、そのときにならないとわからないのではないかなと思うのです。
だからこそ、応援するという意味で、わたしは「頑張ってるね!すごいね!」と声をかけます。
でも同時に「もうしんどい、もうだめと思ったら、それはそれでいいんだよ」とも声をかけます。
きちんとその子を見れば、答えは出てくる……
わたしはそう思っています。